君の居場所



























北風が強く吹いたあと、ことさら日向の温かさが身に沁みる。
空を見上げると、ここ最近では珍しいことに雲ひとつない青空。
利吉は、ふっと笑顔を浮かべるとまだまだ遠い懐かしい学園を思った。
はやる気持ちを何とか抑えつけて、また歩き出す。
気を抜けば、思わず走りだしそうだった。
に、会いたい。
心の底に芽生えた気持ちが弾んで、自分でもしょうがなかった。
こういう焦るような、じれるような感情を抑えきれなくなった時に必ずと言っていいほど思い出すのは彼女と初めて会い共に過ごした日々のことだ。





















「私は。あなたは?」
「うっ……」


父上が連れてきたその少女は、満面の笑みを浮かべながら私に話しかけてきた。
同い年の女の子に、どぎまぎして思わず母上の後ろに隠れた私を父上はしょうがない奴だと苦笑していた。
そのことが、さらに拍車をかけてますます顔に熱が上る。


「これ、利吉。挨拶せんか!こいつは」
「先生!私はこいつじゃないですよ!」
「ああ、分かった分かった」


喰ってかかる彼女に、笑みを深める父上に、どうしてこんな失礼なこと言ってるのに笑っているのか私は理解できなかった。


「利吉、私の教え子のだ」
「利吉って言うんだ。ふーん…」


にっと歯を見せたは、私の手を取ると、突然引っ張った。


「わっ!」
「ねえねえ!ここら辺案内してよ!」


人見知りする私を気にもせず、どんどん話しかけられ、笑いかけられ、私はいつの間にかとずっと友達だったかのように、仲良くなっていた。
父上の話では、学園の夏休みの間はうちで一緒に生活するらしい。
身寄りがないって言っていた母上の顔は少し悲しそうだったけど、私はがうちに来てくれたことが嬉しくて、なんでそんな顔をするのか分からなかった。
ただ、無邪気に突然出来た友達に嬉しさを隠せなかった。
も女なのに忍術を勉強していて、一緒に手裏剣の練習をしたり、父上に勉強を教えてもらったりした。それでも、私が川に水を汲みに行っている間は母上の手伝いをして二人で料理を作っていた。
重いし、疲れる大嫌いな水汲みから帰ってくると、いい匂いが家から香ってくる。
うまくバランスを取りながら近づいて行くと、私が帰ってくるのが分かるのか、はしゃもじを片手に飛び出して来てくれる。
まるで、母上が父上にするように手を振ってくれた。でも、母上とは違ってはそのまま走りだし、必ず私の所まで駆け寄ってきた。
私も、父上とは違って両手が桶でふさがっているせいで、を抱き上げることはできなかったが声を出すことはできた。


「利吉、お帰り!」
「た、ただいま


屈託なく笑みを浮かべるが迎えてくれる水汲みは、好きになった。
それに、と一緒に勉強をしたり、忍術の練習をすると、なぜだかいつもよりうまくできた。
私の手裏剣が的に当たるたびに、が歓声を上げて喜んでくれて、同じように声を上げて悔しがったからかもしれない。
しかし、段々と減っていくの夏休みの宿題に不安を覚え始めた頃、私にとって忘れられないことが起きた。


「利吉なんて、嫌いだ」


何がきっかけだったのかわからない。
父上と一緒になって三人で塹壕を掘ったあと、突然は私に言い放った。
その前に父上と私で他愛のないことを話していた覚えはあったが、父上が母上に言われて風呂を沸かしに行ってしまい、の方を振り返れば険しい顔をしていた。


、どうしたんだよ」
「……」


掘り返したばかりの土が強く匂い、口の中が乾いてうまくしゃべれなかった。
はじっと自分の足元を見つめたまま、穴の中に座り込んだ。
この穴は今度、ゴミを捨てるんだよ。さっき、父上がそう言ってたんだ。
母上と、父上と、私の三人なら丁度いいって言ってた。
だからさ、。穴から出ようよ。ねえ、そのうちゴミでこの穴はいっぱになる為の穴なんだってば。

いやいやと、頭を振ってそれきり口を開かなくなってしまった
私は、どうしていいのか途方に暮れてしまい、の隣でぼんやり立っていた。
これ以上何か喋っても、穴から出たりしても、取り返しのつかないことになりそうな気がして、じっと小さなの旋毛を見つめていた。日がじりじりと傾き、いつの間にか母上が穴のふちに立っていた。


「二人とも、ご飯よ」


母上が見ている中、私はに手を差し伸べた。俯いたままは私の手を取った。
母上は、なにも言わなかった。
私は、一瞬でも気を抜いたらズブズブと音をたてて崩れてしまいそうなを守ってあげたくて、ただただ必死に彼女の手を取り、穴から引き揚げた。
穴からようやく出たは、私の目を見て拗ねたように「ありがとう」と、呟いた。
じわりと、温かいものが胸に生まれて、心の臓がそれを体の隅々まで運んでいくのを私はただただじっと感じていた。


それから数日後、は学園へ帰っていった。


私と言えば、今までは何かと言いわけをして逃れていた父上へのお使いを頻繁にこなすようになった。
学園へ行けば、がいた。
に引っ張られる様に、同世代の忍たまたちや、くのたまたちに紹介され段々と私の世界も広がっていくようになった。
「忍者」というものにより興味を覚え、もっと技を磨こうと思ったのもがいたからだった。
辛い時や、苦しい時もあったがそんな時瞼の裏にそっと現れるのは穴の中で身じろぎもせずに座りこんだの姿だった。それが見えてくると、どんな状況でも頑張ってしまう。


「うわ、利吉すごい!なんでこんなに棒手裏剣うまくなってんの!?」
「はは、そんなにうまくないよ」
「嘘だ!利吉よりも私の方が手裏剣うまかったのに!」
「そうだったっけ?まあ、私だって山の中で毎日寝て過ごしている訳じゃないし?」


久しぶりに顔を合わせて、互いの技量を披露し合ったりもした。
があんまり驚くもんだから、私はついついからかう様に言ってしまう。そうすると、本気になって自分も的の中心に棒が刺さるまでの練習に付きあわされたりもした。
年を追っても、私たちの関係はずっと冷めないぬるま湯のように続き、もついに学園の最終学年になっていた。


「ねえ、利吉」
「ん?」
「利吉はさ、何になるの?」


将来ではない、近い未来の話を縁側で素足を遊ばせながら聞いてきた。
どこからか、やってきた猫がの後ろで丸まって眠っている。
私は、猫とに目をやってから空を仰いだ。
真っ青な空が目に痛い。


「そうだな、私はフリーの忍者になろうかと思ってる」
「ふうん」


つれない返事をして、は膝を抱えた。


「私はさ、この学園で先生やらないかって誘われてる」
「うん、に合ってると思う」


後輩たちに囲まれて幸せそうに笑っているの姿を思い浮かべた。
今と違うのは黒い装束を身にまとっているぐらいだ。


「なんだ。私はてっきり利吉も先生やるのかと思った」
「うん」
「つまんない」
「でも、に会いに来るよ」
「……いつ」


唇を尖らせたの横顔を、笑顔で見つめていた。


「まあ、私の気の向いたときかな?」
「ばか利吉」


ようやく、も笑った。




























それから二年、三年と過ぎた。
私も、大分成長したと思う。
色々な場所も行った。学園に立ち寄るたびに、はどんどん「先生」らしくなっていった。
それは私にとっても喜ばしいことだった。だが、父上から聞いた話によると最近はに懐いていた三年生だった奴らがよくのあとをついて回っているらしい。
いつの間にか私は、走りだしていた。
そして、いつものようにまた今度こそに気持ちを伝えようと決心する。
に会いたい。
そして、伝えるんだ。


「利吉さーん。こんにちはぁ。入門票にサインしてくださぁい」
「だぁー、分かった!分かったから小松田君、そんなに入門票を押し付けないでくれ!」
「あ、すみませーん。あははははは」


サインを済ませ、まだ後ろで何かを言っている小松田君を置いて走った。
の部屋の近くまで来ると縁側に水色の装束や、緑、紫とてんでばらばらの学年だが何人かが集まっていた。
その輪の中にもいた。
私は、に出会えて初めて自分に誇りが持てたんだ。君を好きになって愛することがこんなにも幸せな気持ちだと知ることが出来た。
私が、私になれたのはのおかげなんだ。
今日こそ、君に伝えたいんだ。
だから、ほんの少しでいいんだ。
その周りにいる奴らを少し遠ざけてくれ。


「あ!利吉さーん!!」
「え?あ、本当だ!利吉ー!おーい!」


また邪魔される前に、皆の前でを抱きすくめてやろうかと思いながら私は走った。
空はからりと青く笑い、も皆の中で満面の笑みを浮かべていた。