八 本当、いつ振りだろう。 きっと、数えてみれば今まで二人で重ねてきた圧倒的な時間の前では笑ってしまうぐらいちっぽけな会わなかった時間のはずなのに。 驚くほどに、久しぶりに留三郎の顔を見た。 角から飛び出してきた留三郎の顔は、ひどく驚いていて三白眼をめいっぱいに開いている。 時間が氷結したかのように止まってしまった私たち。 「あ…の、せんぱい?」 留三郎に向かってしんべヱと喜三太走っていくのが見える。 すぐそばで、平太の声が響く。 腕の中で、動くのも感じる。 だけど、そんなことよりも同じ空間に留三郎がいるという事実が、私の中を埋め尽くしてしまっていた。 あれほど感じていた、脱力感にも似た虚は、たったひと目。 ひと目見るだけで、今まであったモノとよく似ているのに全く別物のエネルギーで塗りつぶされた。 吐く息にすら、其れが滲み出てしまっているんじゃないかと、不安になるほどに胸が苦しい。 「はにゃ〜、食満せんぱーい!遅いですよぉ!」 「そうですよ!食満せんぱいが来ないから僕たちでがんばっちゃいましたー!」 「お、おう」 交わった視線が途切れることがない。 痛いくらいに留三郎の瞳が私のことを見つめている。 戸惑いがちに駆け寄ってきた二人の頭を撫でて、こちらに近づいてくる留三郎。 はいどーぞ!と、声を上げて二人は私の隣に留三郎を座らせた。 平太の手が、心細く着物の裾を掴む。 「食満、せんぱい、と…せんぱい」 小さな両手が繋いだ着物の裾。 きゃらきゃらと、声を上げて、左右から押してくるしんべヱと喜三太。 触れ合った肩になんの不自然さも感じさせずに動いたのは二人同時だった。 「こ、こらぁ!そんなに押したら、おせんべいみたいにぺっちゃんこになっちゃうでしょ〜!」 「お前ら!やめろって」 笑い声を含んだ声が響く。 体の中を反芻する一つ一つの声にすら、苦しい。 ここから、逃げだしたい。 留三郎は立ち上がり、しんべえの体を抱き上げて笑い声を上げながらぐるぐる回した。 それが楽しくてしんべヱも大声で笑い声を上げる。 「あーあ、しんべヱずるいよ。僕だってやってほしいのに!」 拗ねて肩にもたれかかってくる喜三太に笑いかけてやる。 「大丈夫だよ、食満がそんな不公平すると思う?ね、平太はどう思う?」 「し、しません!」 「僕もそうおもいまーす!」 ぱっと、笑顔になった二人と顔を見合わせて頷く。 喜三太は私から離れると、留三郎の方へと小走りに近寄っていった。 「ほら、平太もいきな?」 「は、はい……でも」 何か言いたげに腕の中から出ようとしない平太に、つきりと胸が痛んだ。 本当に、この子は聡い子だ。 先輩はずるくてごめんね。 「なに?どうしたの?」 「う……そ、の」 「うん」 素知らぬ顔で、その不安は気のせいだと塗りつぶしてやれば、平太は自分が今感じた何かは気のせいだったんだと、はにかんだように頬を緩ませた。 「なんでも、ないです」 「うん!ほら、早く早く!」 「は、はい!」 とっとっとと、大笑いしている三人の輪に平太も加わった。 「ねえ、作兵衛」 「え、あ!はい!」 留の登場で少しまた緊張していた作兵衛は、声をかけると弾かれるようにこちらを振り向いた。 「悪いんだけどね、私ちょっと用事あるから行くんだけど」 「え!?行っちゃうんですか!?」 「うん、食満にも言ってはあるんだけどね」 「そうなんですか?」 にこりと、笑う。 「おはぎ、お皿は食堂のおばちゃんに返しておいてくれればいいから、あいつにもあげてね?」 「は、はい!」 こんなことに対して全力で頑張りますと言わんばかりに頷く作兵衛に、少し心が痛みながらも、留に気付かれないように立ち上がった。 座っている作兵衛の頭を通り過ぎる時に軽く撫でて、ごく自然に歩きだす。 「じゃあ、また今度ね」 小さく手を振る作兵衛のほっぺたが、照れているのか少し赤くなっていた。 足がもつれそうになる。 でも、もっともっともっと早く。 走って、走って誰にも会いたくない! 疼く胸の奥で、薄れたと思っていた感情が身を潜めていた。 その刹那、体が浮遊感に見舞われて、声を上げる暇もなく私は穴の中に落ちていた。 「いった…い」 丸く切り取られた空を見上げて、ようやく声が出た。 消えていた筈の涙は、目尻をじわじわと濡らしていく。 まるで、幼子の様に泣いた。 留三郎に触れていた右肩にすがる様に手を当てても、ぬくもりも何にも残っていない。 「……誰かいるのかい?」 タイミングばっちりで穴の中を恐る恐る覗いてきた伊作の顔に向かって、私は顔が涙でぐちゃぐちゃなのも気にせずに笑いかけた。 「伊作」 「ちゃん!?」 「また、だね」 あの時と同じだ。 そのせいか、素直な気持ちがそのまま言葉が零れた。 「ね、伊作。私、留と話したいよ」 無言のまま、差し出された手を掴みもせず、瞼を閉じた。 目に浮かぶのは、こちらをじっと見つめる留三郎の姿。 「留三郎のそばにいたい」 他の誰でもない、彼のそばに。 が走っていくのが見えても、俺は追いかけられなかった。 笑い声を上げる一年と一緒に笑い声を上げて、がいなくなったことに気付かないふりをした。 に触れていた左肩が柔らかく疼く。 もう、何もかも忘れて目の前にだけある「今」だけでを思いっきり抱きしめてやりたかった。 「あれー?食満せんぱい、せんぱいいませんよ―?」 「あ、本当か?」 「本当だ!せんぱいいませんね〜、せっかくみんなでまたお昼寝したかったのにぃ!」 喜三太が頬を膨らませて、姿を消したに文句を言う。 「まあ、喜三太今度だな」 「は〜い…でもさ、平太も一緒にせんぱいとお昼寝したかったと思わない?」 「お、思うけど……」 「あ!そうだ食満留三郎せんぱい!せんぱいが作ってくれたおはぎあるんですよ!」 こっちこっちと、しんべヱが手を引くのに笑って着いて行った。 だけど、頭の中ではのことばかり回っていた。 もう一度、いつものように名前で呼んでほしいだなんて……。 「おいしいですか?」 「せんぱい、僕にも一口!」 「こら!しんべヱ!お前はさっき食べただろ!」 「食満せんぱい、おいしいです、か?」 ほおばったおはぎは、甘くて思わず顔がほころんだ。 一つ足りない声を思い浮かべながら、うまいと、返事をするとみんなまるで自分のことのように声をあげて喜んだ。 続 |