願うこと ああ、もう、なにも見えないだなんて言わないでくれ。 私はこれから始めたいんだ。 お願いだから。 学園の皆さま、さようなら。 ゆらりと、揺れる輿の上でそうとしか思えなかった。 いざ目前にしてみると、心臓がこんなにも苦しくなるものだなんて思いもしなかった。 だけど、逃げ出さずにここにこうして座っていられるのもみんなのおかげ。 静々と揺れる夜気の中私は、学園のみんなに囲まれて進んでいく。 途中、小さく斜め後ろの滝が私の名前を呼んでくれた。 振り返れば何かが崩れてしまう。そう、私も滝も。 気付かないふりをして、前を見つめていた。もう、涙も何も出てこない。 目をそっと閉じてみると、体の中で鈴の音と太鼓の低い音が綯い交ぜになって、響き渡る。 いつしか、鼓動と繋がった振動が意識をもうろうとさせていた。 私は、獣が吠えるのをその瞬間に聞いた気がした。 私は、あの人が笑うのを見た気がした。 私は、空気が体の中に行きわたっていくのを感じた。 それは、心地よさにも似た不思議な感覚だった。 しかし、目を開けると変わりようのない現実がそこにあった。 木々が拓けて姿を現したのは、まだむき出しのままの土台と、黒々とした穴。 ぞくりと、腹の底から恐怖ばかりがこみあげた。 誰一人として口を開かないまま、そこへと辿り着くと、輿が地面へと降ろされる。 体が、細かく震える。どうしたらいい。私は、どうなるのだろう。 いや、はっきりとどうなるかなんて何度も考えたはずだった。 だけど、いざ目前にしてみるとどうしようもなく、考えられない。 自分が「どうなるか」だなんて。 「」 重苦しい空気の中、土井先生が震える私の手を取った。 つられて、先生の顔を見上げてみるがやはり表情は読み取れない。 力の入らない膝を無理やり伸ばして、縋りつくように立ちあがった。 「入るんだ」 先生にそう言わせてしまっている自分が、情けなかった。 自分で決めた癖に。土井先生だって、こんなことするの一番つらいって分かってるのに。 震える体で、深呼吸をする。空気が焦げるにおいに、土のにおい。そして、冷たいにおい。 「土井…せ、んせ。あ、りがとう、ござい、ます」 舌がもつれて上手くしゃべれないけど、精一杯の笑みを浮かべた。 こうすれば、みんなが、学園が、あの人が、あの場所にあるんだ。 僅かに眉根を寄せた土井先生が、懐から包みを取り出した。 受け取ると、中には小さな握り飯が二つと、竹筒に入った水、真新しい蝋燭が一本。 胸に抱きしめて、穴の中を見つめる。 息が、苦しい。だけど、 「あり、がとう、ございます」 後ろをゆっくりと振り返り、お辞儀をした。みな、下を向いていた。 それでいい。それで。 穴を見つめながら、覚悟を決めた。 入り口から射す僅かな松明の光を頼りに、ゆるい傾斜を下っていく。 少し広めに掘られた穴の中に、私が座り込んだのを確かめると、遂に穴は閉じられた。 重い音をさせながら、石で封じられる。ここで、ただ待つだけ。 徐々に細くなっていく光を指で追ってみても、残るわけがなかった。 一人になってみると、もう枯れたと思っていた涙は、まだ零れ落ちた。 何も見えない。目を閉じていても、開いていても、同じ。 声を漏らしても、誰も聞いてくれない。 意味もない嗚咽ばかりを漏らしていた。 ひとしきり泣いてみると、次に私に訪れたのは静寂。 なんの音もない。 ふっと、闇の中で浮かんで消えた先輩の笑顔。 あの人の笑顔。 それにつられて、私も微笑んだ。 ひどく、穏やかな気持ちになった。 日の光も入らない、音もないせいで、一体どれほど時間が立っていくのかが分からない。 自分の鼓動を数えてみても、早くなったり遅くなったりと時を数えるには曖昧すぎた。 いつ、空気がなくなるのかなんて考えもしなかった。 緩慢になっていく思考が、きっと止まるころには空気もなくなるんだろうな程度だった。 「こへ…いた、先輩」 自分の声とも思えない音が喉から絞り出されたが、今の私にはそれで満足だった。 最後に呼んだ名前が小平太先輩だって、次に生まれ変わっても覚えていたい。 私は、先輩の笑顔が好きです。 小平太先輩が、好きです。 そう思うだけで、私は穏やかに止まっていける。 緩やかな感覚は、意味をなさない。 どこへと向かっても同じ。 「………」 頭の中に聞こえてくるのは微かなあの人の声。 「…………」 遠くから呼ぶ声がする。 「…………」 きっと、もうすぐ止まるんだろう。 大好きな人の声を、嘘でもいいから聞けて良かった。 「!」 その瞬間、目に痛みが走った。 鋭く突き刺さったのは、一筋の光。 頬を土につけている私の目に、光が。 「!!!!」 それと一緒に舞いこんできたのは、あの人の声だった。 「こへ、いた…せ、んぱい」 「!?!いるんだろ!?」 声と共に、地に伏した私の元へと清浄な空気が流れ込んできた。 僅かに戻る思考。 「!私が、助け出すから!」 「こへ………先輩」 「だから!だから勝手に死のうとするな!私はが死ぬなんて嫌だ!」 穴の中にわんわんと響く先輩の声。 硬くなった体を無理やり動かし、光へ縋りつこうと重い体を引きずった。 這いつくばったまま、はゆるい傾斜を移動した。 光が僅かに差し込む入口へ必死に進んでいくと、少し、また少しと近付いて行くの姿を、遂に小平太も捕えた。 指先がほんの少し入る程度の隙間。 そこに指を食いこませ岩を動かそうと必死になる。 「先輩……」 伸ばされた指。周りの固められた土を掻いて、隙間を作る小平太の爪は割れ、血がにじんでいた。 それでも、なんとか手が入る程度の隙間が出来た。 必死に震えながらも伸ばされた指先と、血にまみれながらも伸ばされた指先。 「!」 その手が、硬く握られた。 光の中に見えた、小平太先輩の笑顔。 「先輩の手、あったかい」 その刹那、小平太は久しく見ていなかったの笑顔を見た。 「、一緒に帰るんだ」 そして、は意識を手放した。 終 |