のしかか重き罪





























それでも、生にすがりつこうとした


































一巡、月が満ち欠けを繰り返した。
その間は、とても平穏なまるでこのまま怠惰な流れの中に身をうずめたくなるほどの、日々だった。
数日に一度の禊がなければ、自分がそういう立場であるということすら忘れてしまうくらい。
怯えに疲れ果てた後に来たのは、奇妙な安堵。
このまま、何事もなかったかのように明日も、明後日も、来月も、来年もやってくるはずだと思い込んでしまいそうだった。
私は、あれほど確かに心を決めたはずだったのに「隙間」だらけになってしまっていた。
部屋でやることもない私は横になり、目を閉じて、ただ呼吸をして、微かに聞こえてくる外の音を聞いていた。
笑い声や、火薬のはぜる音、風が木々を揺らしながら学園の中をひっそりとめぐる。
そんな中、かたりと木と木の触れる音が耳に飛び込んできて薄く眼を開けた。
すると、目に飛び込んできたのはずれた天井板。


「あ」


小さく声を上げると、すぐに顔が現れて唇に指をあてた。
その仕草につられて口を閉じると、用心深く天井から現れた顔があたりをうかがった。
そんなことをしなくても、先生たちは授業にかかりっきりで、私のことを見張る暇などあるわけなどないのに。
声に出さずに、大丈夫と口で伝えるとやっと天井からその人は降りてきた。


「食満先輩、どうしたんですか?」
「どうしたって……お前なぁ」


食満先輩が頭を掻きながら、呆れた顔をして寝っ転がったままの私の顔を覗き込んだ。
まじまじと見つめられても、理由が分からずに先輩の顔を見つめ返していると、とうとう苦笑してまいったなぁと、食満先輩が視界から消えた。
それを追いかけて、上体を起こすと私の隣に食満先輩が座り込んだ。


「……」
「食満せんぱーい?」


なぜだか、拗ねた様な表情をしている先輩がおかしくて、先輩が年上だと言うことも忘れてクスクス笑ってしまった。
すると、大きなため息をついて、先輩はごろりとあおむけになってしまった。
今度は私が先輩の顔を覗き込む番。


「あーあ……俺ばっかり思いつめてるのか?」
「え?」
、俺の言ったこと覚えてるか?」


あまりにも時間が経ち過ぎていたために、一瞬何の事だか分らなかった。


「……覚えてますよ。私を許さない、ですよね?」
「…そうだ」
「そんなに眉間に皺寄せてると、痕付いちゃいますよ?」


それでもなお、普通に笑うを見て、食満はひどく胸が痛んだ。
どうして、こいつはこんなにも当たり前に普通に笑うのかが分からない。
だが、の笑顔を見ると、やはり心に決めた「こと」をするのは正しいと、自分の中で答えが出た気がした。
ただ、それをなんと切り出せば。


「先輩?食満留三郎せんぱーい」
「ん?あ、おお」
「どうしたんです?本当。突然やってきて」
「ん、あのよ」
「どうしたんです?」


ああ、そうだ。
言おう。
言おう。
俺は、お前に生きていてほしいんだ。
ずっと、考えていたんだ。



「はい?」


まるで、明日の天気を話すようにあっけなく、言葉が出た。


「逃げよう」






























その瞬間、逃げたいと思わなかったと言ったら嘘になる。
私は、生きたかった。
隙間だらけの私に、染み込んでいったその一言に、揺さぶられた。
なんと、私は愚かだったのだろう。




























まるで、熱に浮かされた病人のように、ぼうっとした表情で俺の差し出した手を握った
ああ、やっぱりだって、死にたくないんだよ。
なんで一人が死ななきゃいけねぇんだよ。
なんで、なんだよ。


、俺が、お前を逃す」


待ちに待ったチャンスが今だった。
俺は手を握り返されただけでもう肯定の返事と受け取り、立ち上がった。
今日は、どの学年の授業も忙しく、先生たちは自分の受け持ちの授業や試験のための準備に黙殺されているのだ。
今、この状況でならば、俺はを逃すことが出来る。
絶対に、殺させない。
俺が守ってやる。
握り返したこいつの手は、微かに震えていた。





























夕日が眼に痛かった。
それでも機を逃せば、もう後に待ち受けているのは奈落への一本道。
そんな道を歩かせたくないから、俺はの手を引いて走る。
追手はない。
しかし、授業が終わった時点でのことを確認に誰かが行けばすぐに逃げ出したことがばれるはずだ。
時間は、ない。


!もう少しだ!」
「っ」


まだ、迷うそぶりを見せるの手を力強く握り、この答えが正しいと、安心させてやろうとしているが、彼女の表情は暗い。
ああ、大丈夫だ。あとでこのときのことを、自分が迷っていたことを思い出して笑い飛ばせるときがくる。
丁度その時、畑の中に見慣れた背中が見えた。
俺が目指していた場所。
大木先生の畑だった。
先生なら、を逃すことに賛成してくれる。


「大木先生!!!」
「ん?おお!食満留三郎じゃないか!!」


豪快な笑い声を聞いて、今まで張りつめていた俺の緊張が少しほぐれた。
なあ、。逃げて、生きろよ。
誰かの犠牲の上に成り立つ生活なんておかしいんだよ。


「先生!助けて下さい!」
「……?」
「先生、こいつを…先生!!?ガッ…ハッ!!」


突然体を襲う衝撃。
一瞬にして俺の体は地に押し付けられて、首筋には冷たい感触。
大木、先生?


「せ、んせ」
、動くとこいつの命はないぞ」


驚くほど冷徹な声が告げる。
でも、その声は確かに俺の知っている大木先生の声なんだ。
あったかくて、豪快で、いつも人の話を聞かない癖にちゃんと手を差し伸べてくれる、
先生の声なんだ。
土の匂いが、肺いっぱいに入り込んでくるのがこんなに不快だとは知らなかった。
上から圧倒的な力で押しつけられて、体がみしみしと音を立ててる。


「ぎ…ぐぁ…」
「や、やめてください!!!!」


痛い苦しい体が音を立ててるのよりも、目の端に捉えたの姿に胸が痛んだ。


「やめて!食満先輩を離して!!!!」
「それはできん!」
「っ!!」


怒声にも似た、凍えた声。
ぐっと、首筋の冷たさが押し付けられて少し切れたのか、微かに血の匂い。
白くなるほど硬く硬く握りしめられたの手ばかりが目につく。
どうして、こうなっちまったんだ。
痛みと、酸欠によって俺の口からはうめき声ばかりが漏れ出して、に逃げろとも先生になんで?とも聞くことも出来ずに、二人の会話を聞いていることしかできなかった。


…貴様今頃になって自分の命が惜しくなったか」
「……ちが」
「それで、食満を虜にでもして逃げおおせようと思ったか」
「違う」
「ならば!なぜここにいる!!!」
「っ……私、は」


大木先生の高笑いが聞こえる。
わんわんと辺りに響くように、侮蔑のこもった先生の声が。


「おれ……が、を、にがそう、とぐぅあっ!!」
「食満、だまっておれ」
「やめて!!私が逃げようとしたんです!!食満先輩に頼んだんです!!だから、私が悪いんだから、先輩を……はなし、て」


が泣きながらうずくまったのを、ふさがりつつある眼で見た。
その後ろから、手に手に暗器を持った黒い影が忍び寄っていくのを見ていた。
それしか、出来なかった。


「さあ、。戻れ」


一瞬、が俺の方を見て、泣きながら唇を動かした。
『ごめんなさい、ありがとう』必死に笑顔を作っている
そのまま、俺の意識はどこか暗闇の中に飛んで行ってしまった。














































気がつくと、俺のことを覗き込む伊作の顔があった。


「ああ、良かった!留気がついたんだね!」
「……っ、」
「あ、うん水だね?ちょっと待ってね」


少し潤ったのどで、必死に声を出す。


……は?」
ちゃん?四年生の?」
「どこ、だ」
「どうしたの?急に……」
「あいつが…こ、ろ…され…る」


その瞬間、突然胸倉を掴まれて体が宙に浮いた。
全身に痛みが走り、思わず顔をしかめた。


「留ちゃん、どういうこと?ちゃんが殺される?」
「…っへーた」


狭まった視界の中に小平太が映る。


「あいつ、は………」


誰でもいい、を助けてくれ。






































ごう。
闇に突き刺さる咆哮。
ごうごうごう。
立て続けに咆哮が裏裏裏山の中に響き渡る。
ふつふつと、腹の底から想いが滾る。


―人柱?をか?
―なんでだ!
―何で私たちに云わなかった!!?
はどこだ!?
!!!!!


考えるよりも先に体が動いていた。
食満に教えられたの部屋にはもう誰もいなかった。
学園中をかけずり回って、それでもは見つからない。
小平太は、吠えた。
そして、目の前のクヌギの幹を思いきり殴りつけた。


……絶対、殺させない!!!!!」


叫ぶ叫ぶ、君を助けたいと、闇の中で叫びだけがごうごうと鳴り響く。
























































ああ、もう一本道