愛音 息を切らせて部屋の中に入ると、欲しくて欲しくてしょうがない後ろ姿が、黙々と私のことを待っていてくれた。 微かな違和感を感じながらも、それ以上に嬉しさではちきれんばかりの心が先走っていた。 「留!ただいま!」 肌寒さから羽織っていた上着をかなぐり捨てるように床に落として、足早に留三郎の背中へと近づいて行く。 ああ、こんなことじゃまた行儀が悪いと笑われてしまうかもしれない。そのくせに、そうやって笑ってくれる顔を思い浮かべて私は一人笑みを浮かべてしまっているのだ。 「留、留、会いたかった」 なんとか勢いを殺して、留三郎の横へと腰を下ろした。 おかえりとか、待ってたぞという言葉を期待しているのに、一向に留三郎の口からはその言葉が出てきてくれない。 おかしいなと、留三郎の顔を覗き込んでみると、きろりと鋭いまなざしで見つめられてしまった。 本人がそう思っていなくても、つり目のせいで睨んでいるように見えてしまう。 でも、そんなのは重々承知だから、笑顔で迎え討ち、もう一度留三郎の名前を読んだ。 「」 やっと、留三郎の声が私の名前を読んだ。 ぴくりと、それだけで心の臓が反応してしまう。 忍びよる様に、いつの間にか伸ばされた留三郎の手が私の肩を掴んでいた。 「とめ?」 「なにした?」 欲しかった言葉じゃない言葉が、飛んできた。 短くて、あったかくなくて、まるで、問い詰められるような言葉。 「あ、れ?言ってなかったけ?伊作に伝言頼んだんだけど」 「伊作から聞いた」 「ん?じゃあ、知ってるんじゃないの?今日はあれだよ、校外実習だよ」 頭の隅で、記憶があざ笑うかのように一瞬甦ったが、なんてことはないこと。 押し殺した。 そんなものよりも、目の前の留三郎におかえりって、 「どんな、実習だった?」 「え?」 「なあ、。どんな実習だった?」 嫌だなぁ。 嫌だなぁ。 「別に、なんてことないよ。人も傷つけるわけじゃないし」 「……」 「体を明け渡すような実習は全部断ってるし」 友達は泣いているような笑顔を浮かべて、「しょうがない」って言っていた。 私は、「嫌だ」と、首を振った実習。 だって、私はどうしようもなく留三郎が好きだから。 それ以外の奴だなんて、考えられないじゃないか。 「ただ、お酒の席での情報収集」 言ってから、早く帰りたいと焦っていた自分の体に、酒の匂いや慣れない白粉の匂いが染みついていることに気付いた。 ああ、早くお風呂に入って、留とお布団に入りたい。 「」 留三郎の眉根がくうっとよって、まるで苦しそうな彼の眼差しの中に私が映りこんでいた。 見知らぬ紅を塗った顔。 なぜか知らないけど、言いわけを口にしていた。 「平気だよ、体触られたりしてもさ、ちょっとだけだもん。我慢できるし、こんなのお風呂入っちゃえば忘れちゃうから」 「……ばかやろう」 思ってもいない所で、ぎゅうっと抱きしめられた。 あまりにも、強く抱きしめてくるから、きしきしと体が軋む音が聞こえる気がする。 それでも、あの嫌な感触を払しょくするようなその強さは、心地よかった。 「ごめんな。、ごめん」 「とめ」 「ごめん、しょうがないって分かってても、嫌なんだ」 彼とて痛いほど分かっている。 卒業のために必要だと。忍びを目指す者にとって、必要な課題だと。 が自分のために、体を使っての情報収集はしていないと分かっている。 それが、ひどい負担を余儀なくさせることだって理解している。 一すれば事足り事を、十で補わなくてはいけないその、負担。 「が知らない男に触られるなんて、嫌なんだ」 「留、大好き」 「ごめん、」 「ありがとう」 どうしようもなく、君が好きなんだ。 終 |