極限状態 これで、二晩目。 会計委員としてみれば、まだ二晩目だが、確実に私たちは疲労しきっていた。 学園長の思いつきにさんざん振り回されただけならば、まだ四徹はいけたはずだった。 しかし、各委員会が予算会議が近いからといって、ここぞと足踏みそろえて「わざと」予算案を出すのを遅らせてきた。 こちらの計算ミスを誘い、予算を少しでも多く獲得するための作戦。 潮江の性格をわかってるからこその作戦だろう。 「〜〜〜っつらあああ!お前等!絶対間に合わせるぞ!」 こうなってしまうと、誰も潮江文次郎、いや、燃える会計委員長を止めることはできなかった。 私たちにできるのは、ただ黙って一刻も早く帳簿を仕上げることだけだった。 かわいいかわいい一年生はなるべく逃がしてあげて、ほんの少しの休み時間でも三木ヱ門と潮江と三人で必死になってそろばんをはじいてはじいてはじきまくった。 左門は・・・・・休み時間についぞ姿を見ることができなかったが、風の噂では会計室を探して走り回っていたらしいから、許す。 放課後はさすがに、一年生二人を動員して左門も連れてこさせてみなでそろばんをはじいた。 それを五日間。 五日間だ。 そして、ついに突入した徹夜での帳簿あわせ。 さすがの潮江もいつものように、突然鍛錬に全員をかり出したりもしない。一晩しただけで、みんなの顔はげっそりとやつれていた。 二日目の今日。放課後になり、次々と会計室の中へと入ってくる皆をを一際疲れた顔をしながら迎えた潮江に、いつになく同情すら覚えた。 ただ単に、予算会議の日程をずらせばいいのにそれをしない潮江に、同情をだ。 「……ただいま」 「おう」 「……来ました」 「ああ」 潮江の両隣に座るのは私と三木ヱ門。 口数も少なく、そろばんをはじき続ける。 黙々と、日が暮れ始めれば気の利く佐吉が灯りをつけてくれ、団蔵が食堂から握り飯とお茶を持ってきてくれる。 会計委員としては理想的な環境で、黙々と…… 「……潮江」 「…………」 「……潮江」 「…………」 「…………」 「………あ?」 二人とも、指を止めもしないから、部屋の中にはそろばんの珠をはじく音がバチバチと響いている。 「返事するなら一回目で返事しろよ」 「……気が散る」 「そーですか」 また、そろばんの音だけが響く。 小さな二つの頭はすでに机に突っ伏して、左門はまたぶつぶついいなが頭揺らして寝てる。ちなみに、今日の寝言は「僕はネイティブだ」だった。 三木ヱ門は三木ヱ門で、ものすごい集中力を発揮して、さっきっから自分の火器の名前を呟いてる。 まあ、集中する方法は人それぞれだと思っておこう。 そろばんの音に促されるように、だんだんと意識がもうろうとしてきた。 墨で書かれた数字だけが浮き上がって、そろばんの上で踊る。 それでも、元々うず高く積まれていた予算案は残りわずか。 計算し終わった束を掴んで、とんっと、机で紙を整える。 「つっ……」 びくりと大げさに肩がはねた。 鋭い痛みが手のひらに走る。 ばさりと、紙の束が床に落ちた。 あれほど響いていたそろばんの音が小さくなる。 「あ……」 手のひらの、親指の付け根ら辺に一筋の傷。 皮膚がうっすらと裂けている。 じりじりと、大した傷でもないくせに血がにじんだ。 「」 「え?」 痒みにも似た痛み。 潮江の手が私の手首を掴んだ。 数字が浮き立つ代わりに、灯りの中に潮江の姿が際立って見えた。 「こんなもん、こうしておけば治る」 「え」 気にし過ぎ、かもしれないけれど。 まるで、見せつけるように潮江は、私の手のひらを舐めた。 べろりと、にじみ出る血が潮江の舌に舐められる。 延々とそろばんをはじき続けていた私の頭は、おかしくなってしまったみたいだ。 一際高く、心臓が鳴いた。 「も、文次郎!!!!」 ぐっと、手を引こうとしたのに、びくとも動かない。 「なんだ」 「や、だ」 「久々に、名前で呼んだな」 くつくつと喉を鳴らして嬉しそうに笑う文次郎。 「もう一回呼ぶまで、離さねぇ……」 また、手のひらを舐められた。 もう、泣けもせずに私は文次郎だけを見つめていた。 終 ああ、男前 |