滲む





















部屋に転がりながら、どっかから入りこんだ猫とじゃれ合っていると、心地よい高い様な低い様な音が耳を打った。
音に気付いたのか、腕の中にいた猫が気まぐれに跳び出してそのまま部屋を出て行ってしまった。


「あーん……また遊んでね?」


猫は尻尾一振りを挨拶に消えてしまったので、今度はこの心地よい音を視線で手繰った。


「長次、なにしてるの?」


行ったり来たりする彼の手元で、涼やかな心地よい音をたてながら墨がすられていく。
音が体の中へと響き渡るほど、静かだった。
透明な水は、じわりじわりと濃度を増して黒く染まっていく。


「あ、書道?なんか書くの?」
「……」


無言のまま墨をする長次の前を見れば、何も書いていないカードが山積みになっていた。
するりとまだ穂先の白い筆を、長次が硯の中に落とすと、たっぷりと墨をふくんで黒く染まっていく。


「あ」


その姿が、自分にあまりに似ていて、思わず声が出た。
不意に、長次の顔がこちらを向いた。


「………」


静かに瞳がどうしたと、訴えてくる。
なんでもないと、返せばなんてことのない会話。


「うん、なんでもない」


確かにそう返したはずだ。
困ったように長次は、眉根を寄せて、首をかしげてしまった。
微かに開いた長次の唇から、低い彼の声が零れた。





長次に囁かれるだけで、自分が彼の中で特別なんじゃないかと錯覚してしまうほどの、甘い声。
じわりと、胸の内に広がっていく、染み。


「ぺけ、だ」


ぺたりと、筆が頬を滑る。
二度、筆を走らせると長次は唇に柔らかな笑みを浮かべた。


「嘘は、よくない」


まるで、彼と同じような墨の跡を付けられて喜んでいるだなんて言えるわけがない。
こんなに好きだなんて、言えない。


「嘘じゃないもん」


身体中、髪の毛の先まで染まりきった時に、きっと言えると思うから。
嘘じゃないことにしておいて。
好きだよ。


、」


だから、最後まで言わないで。