じゅうご








およめさんば






















夜半も過ぎて、そっと忍びこんだ灯りの元ではゆらゆらと二つの影法師が蠢いていた。
戸をあけて、中に入りこむと、すぐさまに仙蔵がこちらを振り向いた。

「おお、やっぱり来たか」
「う〜〜〜……」


ぴたりと正確にこちらを見つめている仙蔵とは対照的に、もう一人はぐらぐらと揺れながら、なかなか焦点の合わないとろりとした視線でこちらを振り返った。


「……おー、お前か〜」
「げ、潮江酔ってんの?」


くくくと、口元に手を当てて仙蔵は笑いをかみ殺した。
白い手に招かれるままに二人の間に腰を下ろした。
耳元にそっと仙蔵が囁く。


「珍しくな」


潮江が酔っぱらうなんて本当に珍しい。
長年友達をやっていても、こんな姿を見るのはほとんどない。
どうしたんだろう……。


「う〜〜〜…」


唸りながらも、しっかりと杯を傾けて透明な液体を呑み下していく文次郎。
おかしい文次郎をどうにか止めてやった方がいいんじゃないかと、仙蔵に目配せをしても、ただ楽しそうに笑っているだけでなにも言わない。
ここは、自分が止めてあげるのが友達ってもんでしょ!と勢いをつけて文次郎を振り向いた。


「しお……え」


息がつまった。
目の前に潮江の顔。
半眼になった目が真直ぐにこちらを見つめていて、黒々とした目の中に自分の顔が見える。


「……」


どんっと、体重がかかった。
首に手荒く巻きついてきた潮江の腕が少し苦しい。
よろめく体を咄嗟に、手で支えた。
耳の後ろに擦り寄せられた潮江の頬が焼けつくほどに熱いのに、なぜだ目が痛くなる。


「お前が、俺の嫁にくりゃいいのに……」
「……う、あ……バカ、タレ」


なぜか、したり顔の仙蔵が転げた杯を掬って、一人手酌で酒をあおった。
まるで、私は文次郎の熱に中てられたように苦しさに顔をゆがめ、それを茶化すように仙蔵が笑い声を上げた。


「そうだな、お前ら二人の子どもなら強そうだな」



























アスファルトに伸びる二つの影を何度見たことだろう。
くだらないことばかりいつも話している気がする。
その癖に、それが尽きた試しもない。


「三郎、本当あんたふざけてたら叩くよ!?」
「おー、叩いてみろ!お前のよわっちいパンチなんて俺には聞かないから」


けけけと、眼を細めて笑う顔は、嫌いじゃない。
だけど、その気持ちとこの、こみあげてくるふつふつとした憎らしさは別物。
ひゅっと空を切る私の手刀。
いつもと同じように、その手は三郎に掴まれてしまった。
痛くはない程度に、しっかりと掴まれた手首。


「三郎のぶわぁ〜か」
「残念でしたー」


ああくそ、なんでだろう。
夕焼けを背中にした三郎。


「そんなだと、いつまでたってもお前に恋人はできないな」
「うるさい。三郎に心配されなくっても結構ですから」
「は?それどういう意味だよ」
「……まあ、察してください」


三郎が立ち止り、掴まれていた手首のせいで私も自然と止まった。


「……なに?俺のお嫁さんになってくれないの?」


夕日を背に、不意に真剣な目で言われても。


「………」


言葉が何も出てこなかった。
ぴたりと張り付いた舌は、動く気配すらない。
真直ぐに三郎の視線が私の中心を射抜く。


「あっそ」


興味を失ったように、ぽつりとつぶやくと三郎はさっさと走りだしてしまった。
何もできずに、ただ立ち尽くす私。
恋人が出来た事実も、出来そうな気配も何もかもも、三郎が一番知ってるはずなのに。
混乱して微塵も動けない私は、明日の朝、家を出て真っ先に顔を合わせる三郎にどんな顔をして会えばいいんだろう。
ずっと顔を合わせてきたのに、ずっと一緒だったのに、初めてどうしていいのかわからない。




























背中あわせに座っていると、どうしても竹谷よりも自分の体の方が小さいことを思い知ってしまう。
それが悔しくて、どんっと勢いをつけて竹谷の背中に自分の背中をぶつけた。


「どうした?」
「別に」
「何いじけてんだよ」


竹谷が笑うと背中越しに、心地よい振動が私の体を揺らした。
一緒にいたはずの竹谷がいつの間にかに、私よりも大きくなっていることに気付いた時、どれほど私が悲しんだか竹谷は知らない。


「おいてけぼりの気分なのー」
「……なんだそれ?」


同じ高さで、同じ場所で、同じ気持ちで、同じものを見ていたと思っていたのに。
それが寂しくて、悔しい。


「竹谷においてかれるー」
「なに?置いていかれたくないの?」
「当たり前じゃん……」


こっちは真剣だっていうのに、竹谷は笑ってばっかり。


「じゃあさ、」
「んー?」


少し拗ねて、背中を竹谷に預けて空を仰ぐ。
あー、青い。


「俺のお嫁さんになればいいじゃん」
「は?」
「そうしたら、ずっと一緒にいられる」


背中があったかい。


「な?」


絶妙のタイミングで、二人揃って振り返った。
名案だろ?と、得意顔の竹谷。


「俺に色に染めたいなーなんて・・・な?」


















もう忘れてしまっただろう。
後ろへ飛ぶように過ぎていく風景を尻目にまっすぐ前を見つめる。
一つの生き物になったように、馬の吐息や脈々と流れる血液が自分にも流れ込んでくる感覚。
熱を伴う生命活動を一切馬に託し、その代わりに変に冷めた感覚で記憶を遡っている。
まだ、学園に入って一年もたたない頃に、私たちはであった。
馬が好きな彼と、馬に気に入られた私。
気がつけば、馬屋で顔を合わせることが多くなっていた。


「なあ、」


指先が触れあうだけでも、顔が真っ赤になるほどに幸せに満たされていた私たち。


「大人になったらさ、」


淡い約束を交わした。


「俺のお嫁さんになってくれる?」
「うん!」


秘めごとを二人だけのものにする様に、そっと絡み合わせた小指と小指。
これ以上の幸せはないと思った。
そんな時が、確かにあった。
馬は、気が済んだのか徐々にスピードを落とし並足になる。
その速度に合わせて、記憶の色彩は固まり、現実が目の前に転がりだしてきた。


「どうした?」


馬をとめて、私を待っている彼の横へと馬を寄せた。


「別に、何でもない。この子が気が済んだって言うから止まっただけ」


布に遮られ、くぐもった互いの声を、研ぎ澄ました聴覚で聞き取る。
随分と、冷めた関係になった。
年を重ねただけなのに、いつの間にかあの気持ちを忘れてしまった団蔵が、目の前にいる。
いつしかこちらから声をかけても、そっけなくなっていった団蔵。
未だにあんな幼い約束を覚えている自分が馬鹿らしくもあるけれど、そのおかげか、団蔵の傍にいるだけで静かな幸せを感じることが出来る私がいる。
それだけで、私は満足している。


「なあ」


この学園長の「お使い」は、どうしても馬で行くほどの長距離のせいで、私たちが選ばれた。
久方ぶりの二人きり。
いつぶりだったかも思い出せない。


「お前覚えてる?」
「え?」


隣の団蔵の瞳が、私をまっすぐに見ていた。
すっと、差し出された小指。
あの頃とは違うけれど、団蔵の小指。


「…別に、覚えてないならいいけど」
「え?あ……」
「小指出して」
「あ、うん」


するりと絡め取られた小指。


「俺のお嫁さんになってくれる?」























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