(雑渡)



川の上流から、はらりと流れてきたそれを、思わず掬いあげた。
真っ白な布。


「これは、」


微かに血の滲んだ後がある。
包帯だ。ああ、とそこに思い当たるとどきりと心臓が跳ね上がった。
止められるわけもない、その唇。


「雑渡、さ、ん」


居るのか居ないのか、解りもしないその相手の名を呼んだ。
底が見える程の浅い川幅は、渡るには少し躊躇する広さで。
濡れるのも気にせずに包帯を握り締める。
もうしばらくすれば、夜の帳は否応がなく落ちていく。
大分暗くなり、もう少しすれば一番星が見えるだろう。


「……ね、いるんですよね?」


一歩を踏み出そうか、踏み出すまいか…。


「あ」
「こんな所にいたんだね」
「あ、あの、これ」


ざぶり。


「ありがとう」


にこにこと、微笑みながら頭を撫でられるともう何も言えなくなる。
何も書いていない白い布一枚でも、私の願いをあっという間に叶える、雑渡さん。


「お礼はなにがいいかな?」


なにを言っても許されるのでしょうか。
今夜ならば。


















(三郎)




耳を打つ雨の音に辟易する。
本来予定されていた筈の七夕祭りはこの雨のせいで、中止。
年に一回、この日にするからこそ意味がある祭りが流れてしまえば、代わりの日にやるわけにもいかない。
あんなに期待させておいて、結局夜の入りには雨が降りだした時には、私以外の人も顔を空と同じく曇らせていた。
床の上に転がっても、じとりとした感触が気持ち悪い。


「しょうがないだろ?雨降ったんだから」
「うるさい…三郎のせいで雨降ったんだよ…絶対」
「あ?」


ふてくされていると、上にのしかかってきて三郎はこれまた不機嫌そうに唇を曲げた。


「お前がそんな不細工な顔してるからだろ〜?」
「あっ!ちょ、ちょひょ!」


三郎がぐいっとほっぺたを手で押しつぶしてくるから、変な顔になって、よりによってそれを三郎に見られている時点で私には大打撃なんだよ。


「あっはははは!タコみたいだなぁ」
「ば、ひゃふろぅのぶぁわか!!!」


眉根を寄せておかしくてたまらないと笑いをこらえながら三郎は、そのまま静かに私の体を押さえつけてきた。
じんわりと、抵抗のできない速度と負荷。


「嘆きの涙でまたヤレなかって言ってるやつらの代わりに」


ぞくり。


「雨なんて気にならないくらいに二人っきりでお祭りするか?」


素肌へ甘音打ちならそうか。















(竹谷)



雨が降っていると言うのに、やけに上機嫌な竹谷に首をかしげた。


「ね、なんで?今日七夕なんだよ?」
「ああ、知ってるよ」
「じゃあ、なんで喜んでるの?こんな天気じゃ星見えないし…」


それでも、上機嫌で胡坐をかいて外ばっかりを見ている竹谷へと寄りかかる。
私ひとりぐらいが寄りかかってもびくともしないその体に、頼もしさを感じ、自分とは違う体だというのを強く意識してしまった。


「これだけ雨が降れば、みんなが喜ぶ」
「私は嫌だよ」
「知らないのか?七夕の夜に雨が降る方がその年は豊作になるんだよ」
「へぇ」
「年に一度しか会えない寂しさを二人で嘆きあって、そんで、貧乏ぐらしだなぁって二人が言うから、その年は作物まで実りが悪くなっていくんだってよ」
「知らなかった……竹谷って案外物知りだね」


そういうと、馬鹿にすんなよと笑いながら竹谷が抱きついてきた。


「ばあちゃんがいってたんだよ」


肩に顎を乗せられて、胴に回された両腕がたまらない加減で抱きしめられる。


「俺達はいっぱい会って、どんなに話してても作物は不作になんないし、」


続ける言葉にすぐ見当がついてしまう。
こうして作物がどうのこうのって言うのはどう考えても生物委員で面倒を見ている動物たちの事を気にしていて、


「あいつらも腹いっぱい食べれるし…」


こんな笑顔で優しいことをいっぱい考えているあなたが好きでしょうがない。


「だから、今はお前とイチャイチャしたいな」


すりっと、首筋に擦りつけられた頬に、これは竹谷の言う所のイチャイチャには入ってないのかと、心臓がバクバク音を立てた。
どうしよう。

















(三木ヱ門)


一人ほんの少し寂しい帰り道。
空には煌々と輝く天の川。
白っぽい乳の様な流れが、空を分断している。
ああ、そうか今宵は七夕か。


「ぅあああ!!」


ばたんと、盛大な音が聞こえてきて、はやる足をとめた。
小豆畑の中に、人影が。


「あ」
「いったたたたた…」


何かにつまずいたのか、土の中に膝をついた三木ヱ門がいた。


「何やってんの、三木〜」
「あっ!!!」


慌てて、泥を払って立ち上がる三木ヱ門。一体どうしたって言うんだろう。
立ち上がると、三木ヱ門は少し恥ずかしそうに笑う。


「なんだよ、もうこんなところまで帰ってきちゃったのか」
「……うん、そうだよ」


言わずとも、同じことを考えていたのかもしれない。
早く帰りたくて帰りたくて会いたくてしょうがなかったんだ。


「ほら、星、綺麗だね」
「ああ。お前と一緒に見たいって思ってたら、走ってた」
「変なの」


あぜ道へと上がってくる三木ヱ門の手を取って、ようやく二人並んだ。
互いに繋いだ手は、ほんの少し冷たい。
指を滑らせて、絡みつかせる。
そして、空を仰いだ。


「七夕、だね」
「うん、私もそう思ってた」


会いたかった。
久しぶりに肩を並べたせいか、少しだけ三木ヱ門の背が大きくなった気がする。
たったほんの少しの間なのに。
七を数えるまでもない日数でも、寂しかった。


「なあ、こっち向いて?」
「うん」


星影が、頬に陰を落とす。


「今すごく、キスしたい」


切なくするりと髪に指を絡ませられてしまえば、もうこっちのほうがたまらなくなってくる。


「好きだよ、三木」


嬉しそうに微笑んだ三木ヱ門が、本当に好きでしょうがない。
目を閉じる刹那、畑から飛び立った白い影はカササギ。
星に願うなんかよりも、私たちはネガイゴトなんてかなえられるから、邪魔だけはしないでね。













(食満)






夕顔の棚のそばにそっと、しゃがみこんでいれば甘い睦言が聞こえてくるかもしれない。


「お前、そんなとこで何やってんだよ」
「あ、いや、その……ね?」
「……」


ぬるい風が運んできたのは、睦言なんかではなく留三郎だった。
意味ありげな視線を投げてよこす留に我慢できなくなり、いっそのことと立ちあがった。


「ゆ、夕顔が咲いてたから」
「へー、ほー、夕顔ね」
「そう、夕顔」


一歩、近づく。
距離が、詰まる。
あと七歩。


「その割には、花なんか全然見てなかったじゃねーか」
「……」


まさか、留が知っているはずない。
ほんの女の子同士の、下世話なうわさ話に過ぎない。
知るわけないだろう。だから、平気、な、はず。


「そ、そんなことないけど」
「ところでさ、」



ぐうっと詰まる幅。
あと、三歩。
もうすでに、諦めに似た予感が私の中に芽生える。


「今日は七夕だって知ってるか?」
「……」


用具委員会の後輩たちと一緒に竹を取りにいってきたと、唇が動くのを目の前にして、動けない。
あと、二歩。


「し…ってる」
「じゃあ、これは知ってるか?」


目の前に迫る、首筋。
ふわりと薫るのは、夕顔の香りなんかじゃない。
耳朶をくすぐる言葉に、顔が紅くなる。


「甘い睦言」


もういっそのこと、このまま抱きしめてくれればいいのに。









(文次郎)






うだるような暑さの中でも、素足を池の中に浸していれば気持ちいい。
両手を後ろに投げ出して空を仰ぐと、私たちのことなんてお構いなしに天の川は心地よさそうに空を流れていた。


「文次郎〜、もうやめなよー」
「ぎんぎーん!」
「聞いてないな」


突然、夜の鍛錬を始めると言って、会計員の面々を無理やりたたき起こして鍛錬を始めたこのバカタレが最後に辿り着いたのが池だった。
まあ、お決まりと言ったらお決まりのパターンだが、付き合わされる方としてはうんざりするこのコース。
それでも、もう夜も更けてるし暑いし、疲れたし眠いし…。
夢中になって池に入る準備をしている文次郎のすきを狙って三木ヱ門初め後輩たちに、合図を送って先に帰らせた。
それに気付いた文次郎は怒ったのか機嫌が悪いのか、眉間にしわを寄せて私を見てからざぶりと池の中に入っていってしまった。
そうなると、取り残されてしまった私はそのまま帰るわけにもいかずに、しょうがないから足袋を脱ぎ捨てて池の中に足だけ浸した。
ぼうっと、眩暈を起こしてしまいそうなほど、空が目前に迫ってきて、手を伸ばせばあの白い天の川にすら手を浸せそうだった。


「おい」
「うわっ!!?」


突然文次郎が隣から声をかけてきたからびっくりした。
ばちゃりと、水が音を立てて少し文次郎の方に飛んだ。
池の縁に座る私と、池から上半身を出して縁に肘をつく文次郎。


「今日何の日か知ってるか?」
「え?」


問いかけと同時に、ぐっと強く引かれる腕。
声を上げる暇もなく、私の体は暗い池の中に落ちる。
怖いと、思う前に文次郎がその胸で抱きとめてくれた。


「な、なにすんのよおおお!!」
「あっははははは!」
「わ、笑ってんじゃない!こ、怖かったんだから!!」
「なあ、星の中泳いでるみたいじゃないか?」
「え?」


言われて周りを見てみれば、黒い水の上に瞬く空の星。
文次郎に抱かれてその中に浮かんでいた。


「俺なら、川ぐらい泳ぎきってお前に会いに行く」
「……文次郎の、ばかたれ」