湯香 「あー……くそ」 背中を壁に預けて、そのまま座り込んでいた。 だらしなく足を伸ばしたまま、眼を閉じる。 今、は風呂に浸かっている頃だろうか。 ふと、湯から出たの肩を首を頬を想像してしまい、じわりと自分の身の内に火がともったのを感じた。 どうしようもなく、が好きなんだよ俺は。 心の中のぼやきは外に出ることもなく、虚しく自分の身の内で回り続けるだった。 いつだってそうだ。 共に歩いてくれ、一緒にいよう。 そんな簡単な一言が言えなくて、と俺との間にはありふれた沈黙が転がっていた。 昼間はあんなに暑かった。 時折滑り込んでくる気まぐれな風だけが頼りの会計室。 文句を言いながらも、それでも俺の仕事を手伝ってくれた。 近くもなければ、遠くもない。そんな距離。 いつまで縮むことなくここまで来ちまった。 「」 汗ばむ肌を気にして、は風呂へ行くと言っていた。 廊下で別れたのは、どれくらい前だったろうか。 もう、ずいぶんとこうして座り込んでいる気すらする。 孤独でも、辛くても平気だと思い込んでた。 算盤をはじきながら、すまんと謝ると、はおかしそうに声を上げて「なんか文次郎じゃないみたい。遅いぞバカタレ!って言ってる方が似合ってるよ」と楽しげに筆を滑らせていた。 それにすら、なんて答えていいのかわからずに思わず黙りこくってしまう俺は、相当まずいんだろう。 二人でいる時間の喜びを覚えてしまった体は、を求めて渇きを知った。 「……どうすっかなぁ」 答えはもう見えている、あとは、動くだけなんだ。 だらりと垂らした両腕。 を見送ってからずっとこうしている。 湯からあがったころだろうか。 こんな両腕で抱きしめたらあいつ、なんていうかな。 「………」 思わず、俺まで笑ってしまった。 きっと、も笑うな。 「文次郎、なに笑ってんの?」 「お、おう」 「おうじゃないよ、どうしたの。まだ部屋戻ってなかったの?」 きしきしと、微かに廊下を軋ませながらはこちらへと歩いてきた。 片手には脱いだ装束と、白い手ぬぐい。 夜着から覗く白い足首に、思わず顔が熱くなる。 「どうしたの?」 立ち上がり、と向きあった。 微かに上気している頬、濡れた髪や石鹸の香り。 そして、無邪気に笑う。 「変なもんじ」 好きで、しょうがないんだよ。 バカタレ。 「」 その頬を伝う雫にすら嫉妬してるんだよ。 指の腹で拭ってやると、くすぐったそうには身じろぎする。 今までの俺たちには無かった距離。 「好きなんだ」 「え?」 そのまま、頬を手で包み込んだ。 あったかくて、柔らかい。 「このばかたれ」 どうしようもなく愛おしくて、それしか言えなかった。 終 (君の頬をつたう雫さえ憎らしい) |